【シンガポール映画】ケルヴィン・ソン監督『King of Hawkers』感想&ホーカーフードについての考察
1974年生まれのシンガポール人映画監督、ケルヴィン・ソン氏の新作『King of Hawkers』を観てきました。
いや~、しょうもなかった。見る価値なし。
ハートフルな喜劇という体裁なため、主人公のまわりにはちょっと癖のある登場人物が何人か登場するわけですが、その全員がすべりまくりで観ていてつらかったです。
ストーリーは平凡でつまらなくご都合主義で、Netflixとか韓国ドラマの方が数百倍おもろいでしょう。それまでコミカルな展開だったのに、いきなり主人公のライバル店の親父が頭打って入院し、その息子が親父に虐げられた過去を集中治療室のガラス越しに大声で話しながら「ザマァ見さらせ!」と気が狂ったように高笑いし、目を閉じたけが人の目から涙がポロリという妙に長いシーンでは一体オレはなにを見せられているのかと白白とした気持ちになり、もしあの時尿意を催していたら確実に途中退場していたことでしょう。
ちなみに劇中、その親父が「シンガポール料理が見下されることは許さん!」みたいなことを言います。
シンガポールのホーカー(屋台料理)文化は2020年、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。しかし、ホーカーセンターで見かける料理は、中国やマレーシア、インドネシア、インド料理などがいろいろ混ざってできたような料理が多くてオリジナル性が高くはなく、味はともかく、見た目はたいてい良いとは言えないものが多いので、よく「芸術的」とも形容されることのあるフランスや中国、日本料理に対するコンプレックスに似たようなものを、一部のシンガポール人が持っているのは事実だと思いますし、それが上述のセリフにもつながっているはずです。
そのため、そのあたりの複雑な心情を描写しつつ、庶民料理・家庭料理の素晴らしさを描いてシンガポール人の愛国心を刺激するような作品になっているのか、もしくは有名なホーカーフードをいくつか紹介してその素晴らしさを世界に向けて知らしめるような映画になっているのかと思っていたら、そういう雰囲気は最初のほうの一瞬だけで、中盤から料理の鉄人をしょぼくしたような競争がはじまり、それがまた強烈に退屈で、前半に描かれる3つの家庭の問題もほとんどほったらかしのまま終わり、誰に向けて何がしたかったのかまったく意味不明。
とりあえずエンターテイメント作品としては3流でB級映画的に楽しむこともできず、さらにはシンガポールの世界無形文化遺産、ホーカー文化を紹介する/知るのにぴったりの映画! ということにもまったくなっていない非常に残念な作品でした。
シンガポールのホーカーフードについて
ついでに、私がホーカーフードについて思うところを少し書いておきます。
初めてシンガポールに来た最初のころは、いろいろ珍しいので、ホーカースで食べるいろいろな料理はおいしいと感じました。
しかしこれはシンガポールに駐在している知り合いも何人か同じようなことを言ってましたが、1年かそこら経つと、急激にホーカーフードに飽きてきて、食べられなくなります(そして自炊を始める)。
そうなると、まずい白ごはんに変に甘い茶色のソースをぶっかけるダックライス、麺をゆでた湯をそのまま使うために白濁したまずいスープの板麺、ごはんに肉や野菜料理をべちゃべちゃかけるMixed Veg、どう見ても洗剤入りの汚水に漬けただけでまともに洗いもすすぎもしてなさそうな皿やスプーンなどに怒りをおぼえはじめ、よー考えると安いから食うてきたけどホーカー料理って実はいっこもうまないやろ正味の話、と心の中で悪態ばかりつくようになります。
どう見ても見た目は気持ち悪い海南(ハイナン)カレー
そしてその後、さらにシンガポールでの滞在年月が長くなると、ホーカーフードの真実に気づきます。
それは、「うまいところはうまく、まずいところはくそまずい」ということ。
つまり、何度かシンガポールのホーカースやコーヒーショップ、フードコートに行くとすぐに気づくように、どの場所も同じような店が入っています。
そのどれもがシンガポールの庶民料理なわけですが、例えばシンプルなチキンライスひとつとっても、店によって味は雲泥の差です。というか美味しい方はめちゃくちゃうまいわけではなく普通においしくて、自然なやさしい味がします。
一方のまずいほうは、鶏肉に締まりがなかったりペラペラで、とくに最悪なのが、味付きライスが化学調味料使ってるやろみたいないくそまずい手抜き飯であることです。あれはまじで食べてると気分が悪くなってくる。
そこでなんとなくわかってきたのは、どこのホーカースに行っても同じような種類の店がある、ということは、ホーカー経営側の精神に、「どこも同じやねんから多少手抜きしても(コスト下げて安い材料使っても)客はアホやからわからんやろ、材料ケチって儲けたろ、愚腐腐腐腐・・・」みたいな悪どい精神が蔓延したにちがいないということです。
しかしこれはよく考えると至極当たり前のことであって、そもそもそれぞれの料理を最初に考えた人々が、まずいものをわざわざ拵えて「ああまずいまずい、でも貧乏だから仕方ない」なんて言いながら食べるわけがなく、最初はどのホーカーのシンガポール料理も、貧しい時代のシンガポール人が工夫して生み出した、おいしい庶民料理であったはずです。
それが時代が過ぎ、「あ~、ちょっと先進国としてハズいんで~」みたいにホーカーを一つ屋根の下にまとめ、ホーカーセンターが各地にでき始めた頃から、強制的に横並びすることになった他店に負けまいと、味ではなく、コストカットで勝負したホーカーも増えた、そしてその傾向がいまも続いており、昔ながらの作り方をいまも頑固に守ってやっている店と、原価抑えて味がいまいちでもなんとかやっていけている店が混在している、そして数でいえば後者が多い、というのが私の仮説です。
(2026年5月後記:ある中国系シンガポール人に上の仮説を話したら「その通り」と言ってました)行列ができているところのホーカーはだいたい自然な味がします。これはあきらかにわかります。化学調味料や明らかに新鮮でない野菜を使っているところは食べたらすぐにわかるし(実際「No MSG」(化学調味料使ってません)と書かれた張り紙をしているところもあるということは使っているところも結構あるということでしょう)、そうではないところで食べると逆に新鮮な感じがして「うまい」というよりも、「体が自然に受け入れられる味」というような感覚がします。
Fong Yong Tau Foo のドライヨンタオフー
シンガポールに来たはじめの頃に食べたヨンタオフー(酿豆腐)は、教えてくれたシンガポール人に言われるままに、具材をスープに入れて食べていましたが、味が濃い料理が多い中で「シンプルでやさしい味」という触れ込みの割にスープ自体の味がいまいちで、日本の鍋料理に比べて全然おいしいと思えず敬遠していました。
それが最近、ヨンタオフーは実は「ドライ」で注文し、揚げたり茹でたりする具材はすべて皿に分けてもらい、それを日本の甘めの味噌ダレみたいなタレや辛いタレをつけて食べつつ、たまにスープをすするという食べ方にすると、実にシンプルでうまく、野菜もいっぱい気軽に摂れる、ということに気づきました(上写真)。これはシンガポールの濃かったり辛すぎたりする味に食傷気味なときにはとくにおすすめです。
私は最近、これかインドのVeg meal(下写真)ばかり食べており(すでにプレーンヨーグルトをご飯にかけて食べられるようになりました)、とくにVeg mealに含まれる大量の炭水化物のおかげでまたもやすべてのズボンのウエストを広げんならん事態に陥りつつある今日このごろです。
南インドスタイルのVeg meal。中央のチャパティの下には山盛りの白ご飯が
以上