THE CARETAKER “Everywhere at the End of Time”: 記憶の喪失、耳鳴り、その最果てに響くレクイエム(2018-2019年アーカイブ)

Ballroom photo

まえがき:2026年の視点から

本記事は、私が2018年から2019年にかけて、ジェイムス・リーランド・カービィ(James Leyland Kirby)によるプロジェクト The Caretaker『Everywhere at the End of Time』の完結をリアルタイムで追いかけながら、旧ブログに綴った2つのレビューを再構成し、アーカイブしたものです。

当時、アンダーグラウンドな傑作として深夜にウィスキーを片手に酩酊しながら聴いていた、この6時間を超える6部作は、その後世界的な現象(ミーム)となり、現在(2026年)では21世紀のアンビエント/ノイズ・ミュージックにおけるマスターピースとして完全に歴史に刻まれています。

この音楽をリアルタイムで聞いていたときの興奮と悪乗りの空気感と、それから記憶の崩壊という深淵なテーマに対する記録を、我が記憶の喪失が危ぶまれる今、当時の文章のままここに残しておくことにしました。

なお、2026年の私の耳で再度聞くと、やはり後半のStage 4~6、とくに最後の Stage 6が最高です。自分の葬式のBGMとして流したいくらいの傑作です。


Everywhere at the End of Time Stage 4 LP

第1章:Stage 4(2018年4月執筆)

「痴呆症」「失われた記憶」をテーマにした全6部作

英国の電子音楽家、ジェイムス・リーランド・カービィ(James Leyland Kerby)氏によるプロジェクト、The Caretakerの全6部作シリーズ『Everywhere at the End of Time』の第4部がこのほど発売されました。

なによりもまず、英国人画家イヴァン・シール(Ivan Seal)氏の絵画がフィーチャーされたジャケットが素晴らしく、Boomkatでアナログ盤を購入しました。2枚組で、MP3ダウンロード権利付です。

『Everywhere at the End of Time』シリーズは、「痴呆症」「記憶喪失」「失われた過去」をテーマにしたコンセプト・アルバム・シリーズで、アンビエント・ミュージックの類になると思います。第1部から第4部まで簡単に紹介します。

※2026年追記:下の写真は第1~3部をまとめたCD3枚組、第4~6部をまとめたCD3枚組ですが、残念ながら現在は入手困難です。eBayなどでは高値で取引されています。

Everywhere at the End of Time Stage 1-3 CD

第1部:経験しない過去への郷愁を掻き立てる

第1部は、ほとんど忘れ去られた古き良きダンスホールミュージック(ボールルームジャズ/クラシック?)のレコード・サンプリング音源(雑音まじり)をつなぎ合わせた曲の集まりで、コンセプトとか関係なく、単純にゆったりとした非常に心地よいアンビエント・ジャズ(?)のような趣きです。

流麗なメロディにかぶさるブツブツとしたノイズが、自分が経験していない古き良き過去へのバーチャルな郷愁を掻き立ててくれます。

第2部:記憶が曖昧になり不穏感が漂い始める

第2部もほぼ同じようなサンプルが使われていますが、古いレコードに起因するノイズに、さらにエフェクトが加えられていき、靄がかかったように、メロディの輪郭がやや崩れていきます。

いつも見ている景色にどこか違和感を感じるような、パラレルワールドに迷いこんだような、デジャブが1時間に10回起こったような、不穏な雰囲気が漂いはじめます。

第3部:意識は混濁して記憶の断片化が進行する

第3部では、さらに意識は混濁してノイズの割合が増えていき、アルバムの後半になると、メロディは遠くでかすかに聞こえるだけの、不気味な展開になっていきます。

まるで青春時代に繰り返し聞いたレコードのメロディを忘れたことさえ忘れていくように。メロディはバラバラになって放り出され、もとの形に戻れないまま、ノイズの暗雲がどんどん垂れ込めてきます。

第4部:記憶の喪失を止めようとする焦燥感が悲しい

そして今回発売された第4部では、これまで、数分のカットアップされた小曲が12曲くらい入っている構成からがらりと変わり、20分強の曲(=レコードの片面いっぱい)が2枚組で4曲という構成になっています。

メロディ(記憶)はほぼ完全に溶けて、聞こえなくなりました。

A面、B面とD面の曲は、同じタイトル「Post Awareness Confusions」(痴呆症の自覚後の困惑?)で、過去の良き日の記憶が失われていくことに気付き、なんとかそれを取り戻そうとして失敗し続ける焦燥感を音にしたような、耳鳴り風のノイズに溢れています。

一方、「Temporary Bliss State」(束の間の至福状態)と名付けられたC面(2枚目のA面)では、以前のサンプリング・メロディとは異なる、やや穏やかな電子音によるメロディが、リスナーにも束の間の休息を与えてくれます。

残る第5部、第6部が楽しみで仕方ない

次の第5部は2018年9月、第6部は2019年3月のリリースが予定されています。

第4部はほとんど記憶を失ってしまったかような音像でしたが、続く第5部ではどういう展開を見せるのか、そして最終の第6部では、轟音に沈むのか、静かに消えていくのか、はたまた記憶(メロディ)を取り戻すのか、非常に楽しみなところです。


Everywhere at the End of Time Stage 4-6 CD

第2章:Stage 6 完結(2019年3月執筆)

2016年9月から始まった、ジェイムス・リーランド・カービィ(James Leyland Kerby)氏による、痴呆症/アルツハイマー病をテーマとした音楽プロジェクト、The Caretakerの『Everywhere at the End of Time』の最終作となる第6部(Stage 6)がこのほどリリースされ、完結を迎えました。

第5部が出たときにはなにも書いていませんでしたが、同部では記憶喪失と錯乱症状が更に進んだかのような、第4部で辛うじて残っていたメロディの断片がさらに細切れになり、記憶を失ったことさえ忘れてしまったかのような、聴いていて辛くなるような、シリアスなノイズ作品でした。

最終作(第6部)は2019年3月14日にリリース

最終作となる第6部でどういうオチになるのか非常に興味があり、リリース日の3月14日のGMT 17時(シンガポールでは深夜)、速攻でダウンロードしました(Bandcampでシリーズ通しで購入済みだったもの)。

アナログ(LP)盤だと2枚組で、20分程の曲が4曲です。

重苦しい1曲目をベッドの上で聴き始め、すぐさま寝落ちしました。

あかんやん、というわけでこの週末、調子に乗ってウィスキーなんて飲みながら、ゆっくり聴いてみました。

※以下は音楽的内容に関してネタバレを含みますのでご注意ください。

最終章の幕切れは

1~3曲目は、壮絶な第5部からの続きという趣きで、シュレッダーにかけられた譜面の紙くずをぐちゃぐちゃに丸めて、固めて、ボールにして、積み上げたりなんかしつつも、最後に全部ローラーで圧延していくような、容赦ない鬱な展開が持続・継続します。

しかし最終曲(アナログではD面)では、そんな譜面の紙くずの塊が、どんどん無限に薄く平らに圧延されていくに連れ、いつのまにか真っ暗だったあたりが明るさを増して行き、真っ白な空間になって、最後は引き伸ばされた紙くずの成れの果てであるごま塩模様の白い床から、黒くて細いひとつの音符が、ぴろりんちょと起き上がり、ふわっと浮かぶや天に登って消え去っていくというような、安易な連想を一応は許容してくれる、リスナー的には救い(?)のある、わかりやすいエンディングを迎えてくれました(良かった。聴くまでは、雑音が前触れなく突然途切れて無音の中に放ったらかしにされたらどうしようかと恐れていた)。

具体的には、15分くらい延々と続くパイプ・オルガンっぽいドローンが「ブチッ!」と途切れてドキッとさせられた後、ピアノ伴奏付きの、歌声が割れて言語が不明瞭な、壊れた機械が歌うレクイエムのような、物悲しい歌唱で終わるというものです。

様々な音楽スタイルを取り入れつつ首尾一貫した大作

全6部で構成されたそれぞれのステージは、記憶が徐々に失われていくことへの自覚から、恐怖と意識の混濁の先の完全な混乱まで、実際の痴呆症の段階的進行を辿っているそうですが、収録された音の世界はというと、以下のように変容していきます。

  • 第1部:20世紀前半のダンスホール音楽のメロディの万華鏡的桃源郷

  • 第2部:レコードのスクラッチノイズが増え始める。

  • 第3部:メロディは残るも時にノイズが全面を覆い始める。

  • 第4部:メロディは消失しつつぎりぎりエレクトロニカ風味を保つ。

  • 第5部:もはやハーシュノイズと言ってよい騒音がメイン。

  • 第6部:ノイズからドローン、そして鎮魂歌。

本作品は、古いレコードのサンプリングによる、自分が生きたことのない過去への郷愁感を誘発する、流し聴きして心地よい音楽というだけにとどまっていません。

サンプリングからホワイトノイズ、ゼロ年代風のエレクトロニカ、ハーシュノイズ、ドローンまで、全体的なトーンはダークながらも多彩な音楽スタイルを駆使しながら、記憶を失っていくことの焦燥感から絶望、絶望の中の希望、混迷、錯乱、喪失したと気づかない喪失、虚無、解放までを、プロジェクト全体で音楽的に表現しきったカーヴィ氏の力量は称賛に値します。

これを聴くほとんどのリスナーは今のところ、痴呆症に陥っていないとは思いますが、それがいつ訪れるかわからない、自分の力ではどうしようもない事への恐怖と、人によって異なるとりあえずの諦観への道筋を想起させることは、アートの役割のひとつと言えましょう。そしてそれはもちろん、実際の病気に何の役にも立ちません。

マイナー音楽だが全力でおすすめできる

マイナー音楽であり、残念ながら現代の日本やシンガポールでは、体験される機会が少ないことは事実ですが、そうであるがゆえに、本ブログでは全力でおすすめいたします。

※2026年追記:Apple MusicやSpotifyにはありませんと当時は書きましたが、現在は、Spotifyに第1部~第6部をまとめたプレイリストが公開されているので一気に通しで聴くこともできます。

また、Bandcampで、ダウンロード版全6部を、一度に購入することもできます。

https://thecaretaker.bandcamp.com/album/everywhere-at-the-end-of-time

Spotifyで聞いて気に入ったらぜひ購入してください。アフィリエイト等は一切行っていません。

ジャケットに使われた画家イヴァン・シール氏の作品も素晴らしい

私が結局アナログ盤の購入を見送ってCDを選んだ理由は、金銭的事情もさることながら、CDの紙折りケースが豪華で、シリーズのジャケットを飾るイヴァン・シール(Ivan Seal)氏の素晴らしい絵画作品をたくさん楽しむことができるからです(オモテだけでなく、中ジャケにも絵画がプリントされている)。

第4部だけレコード版を持っていますが、イヴァン・シール氏の絵画が大きく見られるジャケットは、そのまま額に入れて飾りたくなるほど魅力的であり、やっぱり通常のブラック・ヴァイナルでいいから、全6枚コレクションしようか悩み中であります。

グロテスクながらも、見えない手で胃壁の厚みをぐにっとされたように目が離せなくなる不思議な魅力に溢れた油絵です。現物見たい。欲しい。でも高そう。

完結を祝して本編未収録の17曲がダウンロード公開中!

さらにこのほど、シリーズの完結を祝し、制作の過程で各アルバム収録からは漏れた作品17曲を集めたアルバム『Everywhere, an empty bliss』が、ダウンロードのみでBandcampに公開されています。これがまた素晴らしいです。

https://thecaretaker.bandcamp.com/album/everywhere-an-empty-bliss

音像的には、第3部と第4部の中間からやや前半寄りといいますか、メロデイのはっきりした曲とドローンっぽいのが、6:4くらいで混ざったものとなっています。

最終曲のタイトルが「And bliss everywhere bliss」というのがまた心憎い演出です。

最後に、たぶんカーヴィ氏自らによる作品紹介文の一文を引用して終わります。

この一文から、本作のテーマは、実は特定の病理に関わるものではなく、失われた過去の記憶の輝きそのものであって、「痴呆症」は誰しも衰えて死んでいく人間の比喩として対比されているに過ぎないのかもしれません。

“May the ballroom remain eternal.”

あとがき:Terminal Lucidity(終末期の一過性精神清明)について

このレビューを公開した当時、ある読者から、最終章(Stage 6)の劇的な幕切れ——15分の重苦しいドローンの後に突如として響く物悲しいレクイエム——は、「Terminal Lucidity(終末期における一過性の精神清明)」という現象を表現したのではないか、というご指摘をいただきました。

精神疾患や認知症を患う患者が、死の直前になると、それまで混濁していた意識が奇跡のように突然ハッキリと戻る現象。カーヴィ氏が全6時間におよぶ崩壊の果て、最期に用意したあの旋律は、まさに脳が人生の幕を閉じる直前に見せた、一瞬の、そして永遠の白昼夢だったのかもしれません。

改めて、この途方もない大作に深い敬意を。

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